カテゴリー別アーカイブ: 症状や問題行動

ブログ☆【まず「モンダイ」に気づいた人から】

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(故郷の夕日)

【まず「モンダイ」に気づいた人から】

あっという間に今年も12月を迎えました。
私は「12月」と聞いただけで意味不明の焦りやせわしなさが湧き上がってきてしまいます。
これは私の「休まない」「多忙に安心する」「*マグロ的」な傾向から来ていると思いますが、
自覚に至ってからは、ずいぶんと休めるようになったり、テキトーにしたり、任せたり、
健全に甘えたり、罪悪感にさいなまれずにサボれたりができるようになりました。
疲れや、体の痛みなどにもずいぶんと気づけるようにもなりました。
昨日まで数日間連続で長め・濃いめの研修に出かけていたのですが、そんなわけで今日は、
ほぼ家事をしない選択をし、晩ごはんは作らずにあるものだけで済ませています。
気づく前は、自分が休んだり、誰かの世話をしないと「家が崩壊する」「自分の存在価値がない」、
はたまた・・・「世界が壊れる!」などと思い込んでいたフシがあります。ギャグじゃなく。
これを私の歴史の中では「髪の毛振り乱して共依存時代」と呼んでいるのですが、
また長くなりそうなので、この時代考証についてはまたいつか・・・。
(*マグロ=とにかく泳ぎ続ける!)

ところで・・・
例えば「子どものことで相談したいのだけど、本人が行くと言わないので困っている」
というようなお問い合わせについて、ここで少し書かせていただきたいと思います。

驚かれるかもしれませんが、実は必ずしもご本人がカウンセリングに来なくてもいいんですよ。
まずは、ご家族の中でその「モンダイ」や「疑問」に気づいた方が私たちと会って、
そこからどうしていくかを一緒に考えてみる・・・というスタートも可能かもしれません。
もちろん料金はいただくことになりますが、いわゆる「モンダイ」や「症状」を持つと思われる方が、
必ずしもその場にいらっしゃらなくても、できることはけっこうあると私たちは考えるからです。

家族には「力動」というものが働いている、という考え方があります。
すごくざっくりと表現すると、誰かひとりが変わったり動いたり何かすることで、
他の家族にも何かが起こりうる・・・というような意味ととらえていいと思います。
親子でも、パートナーでも、きょうだいでも、恋人でも、グループでも起こりえます。全てではないけれど。
特にお子さんの場合、主な養育者である方がまずは助かっていたり支えられていることがとても大切です。
もちろんそれは目に見えませんが、離れて暮らしていたとしても、たしかにありうることだと思います。

そんなことも含めて、お問い合わせいただけたらと思います。

中谷内由美

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(母にもひとりの時間を・・・)

ブログ☆【AC・アダルトチルドレン=子どもっぽい大人?!】

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(釧路新道から春の釧路湿原をながめて走る・・・)

【AC・アダルトチルドレン=子どもっぽい大人?!】

ぐっと春らしくなったと思ったら、とつぜん雪が降ってきたり・・・
しばらくはまだ上着が必要な釧路ですね。
ここを訪れてくださっているみなさまはいかがお過ごしでしょうか。
上の写真は、おととい日曜日、よく晴れた釧路湿原の風景です。

先日「アダルトチルドレン(AC)は子どもっぽい大人のこと」という文章を
偶然目にして驚いた中谷内です。
SNS上でしたが、これは典型的な誤解ですね。
今もそういう誤解が実際にあると知ってちょっと残念でした。
私自身もACの自覚があって今のプロセスに至るので、
今回はこのことについて改めて書いてみようと思います。

改めまして・・・
みなさんは「AC」「アダルトチルドレン」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。
臨床心理の世界ではもうおなじみというより、かなり前に使われていた・・・
という感じもする言葉になってきていると思います。
実は私自身も初めて聞いたときは「子どもっぽい大人」とか、
「いつまでも自分の問題を親のせいにして怒っているオトナ」というふうに誤解していました。
しかし、本来の意味は全く違います。

ぐっと手短に説明しますと・・・
アメリカで当初、アルコール依存の問題がある家庭に育った人たちのことを
臨床家たちの間でそう呼んでいたのですが、
その後、アルコール依存問題に限らず、機能不全な家庭に育ったり、
様々な虐待を受けて育ったりして、
生きにくさを抱える人たちのことも含めて呼ぶようになっていきました。
その概念がいわゆる心の病の回復や自己の成長に役立つと考えられ、
日本にも紹介されたわけですが、
その際に例の「子どもっぽい大人」「いつまでも親のせいにして甘えてる人たち」
などという誤解も同時に広まってしまい、
せっかくその自覚に至っても自己開示できず仲間と出会えなかったり、
ACそのものに対しての風当たりが強くなっていったりしたようです。
また、「ACといえばアルコール問題」というイメージが強かったり、
認識は広まったけれど治療法の広まり・実践が追いついていなかったりして、
専門家の間、特に医療現場で批判や苛立ちを招く、という現象も起こってしまいました。
これもとても残念なことだと私は思っています。

そういうわけで、「AC」ではなく「サバイバー」とか「トラウマ・サバイバー」、
その後回復・成長した人は「スライバー」という表現を使うこともありますね。

そもそもACは病気ではありません。なので、精神科の診断名でもありません。
あくまでもひとつの「概念」であり「自覚」です。
だから、だれかに「あなたはACよね」なんて言われる筋合いのものではありません。
その「自分はACなんだ」「だから苦しかったんだ」という自覚が、
自分の回復や成長、あるいは生きづらさの理解や修正に役に立つ、
と思う人は持っていればいいわけです。
必要なければ持たなくていいし、自覚を持ちながら回復中の人は、
そんな自覚もいつかは薄れるということが起こりえますね。
「え?あ~、そういえば私もACですが、それが何か??」みたいに。
あるいは「ACだからこそ今の自分がある」と誇れるようにさえなるかもしれません。

また、AC概念が生まれたアメリカでは、文化的にもアルコール依存が
代表的なアディクション(嗜癖)であり、
そのために多くの人々がアルコホリックの子どもとして育っているという背景があります。
しかし、日本では体質的なこともあって事情が異なります。
その一方で、暴力の修羅場や、見えにくい虐待や支配にさらされている子、
親の関心を引けない子が少ないわけでは決してないでしょう。
私もそうですが、両親にアルコールの問題がなかったサバイバーたちにも、
このACという概念は今も十分に役立つものと私は考えています。

最後に、アメリカのセラピスト、ウェイン・クリッツバーグ氏の文章を紹介しますね。

「アルコール問題家族で育ったということは大変な環境の中で生きたということであり、
そういう環境を生き抜いた人々が創造性や勇気に欠けているはずがない。
彼らは真のサバイバー(逆境を生き抜いた人々)なのだ。
彼らにとってのこれからの課題は、
過去に身につけたスキルやテクニックをもっと創造的な新しい生き方のために使うことである。
自分を外に向かって開き、新しいスキルを学び、さまざまな見解に沿って行動してみること・・・
それが彼らにとっての挑戦なのである。」

明日からの心理学講座では、ACの自覚のあるなしにかかわらず、
私たちが抱えるさまざまな生きにくさについて皆さんとともに
多面的に考えていけたらと思っています。
知識は力。
各回まだ申し込み可能です。

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参考文献:『アダルトチルドレン・シンドローム 自己発見と回復のためのステップ』
W.クリッツバーグ著 斎藤学監訳 金剛出版

ブログ☆【子どもの「症状」】

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(お花のプレゼントはうれしいね・・・)

【子どもの「症状」】

前回のブログでは、子どもの巣立ちや、それにともなう親側の痛みについて書きました。
でも、書いている最中から、自分の中に違和感があることにも気づいていました。
その違和感とは・・・「いや、ときに巣立たなくてもいいよね」っていうことです。
もしくは、「巣立ちだって、人それぞれだよね」っていうことかな。
巣立ったと思ったら舞い戻ってきたり、何度か繰り返していつか巣立ったり。
なにか症状や問題行動のようなものがあってなかなか巣立たないように見えたり。
巣立たず、古い巣を自分の巣に作り替える、ということもあるんじゃないかなあ・・・。
今日は、そういったことについて書きながら考えてみたいと思います。

「ふつうは」「一般的には」「たいていは」、
学校に行って、卒業して、家を出て、仕事して・・・
ということは確かに多いように思いますが、
でも、そもそも「ふつう」ってなんなんだ?
「ふつう」以外は「いじょう」なのか?
そもそも「たったひとつのふつう」なんて、
実はどこにもないんじゃないの?
・・・と思ったりもします。

たとえば、体の発達もそうですね。
顔や性格、体型はもちろん、発達のしかたや特性もみんな違うし、
特に幼い時は個人差がとても大きいと「一般的には」言われています。
わかりやすい例を、今とつぜん思いついたので「歯」で考えてみると・・・
近年は生まれたころから乳歯が生えている子がいるかと思えば、
育児書に書いてあるような月齢に、ほぼ育児書にある順で生えてくる子もいるでしょう。
それから、これは私のある友人の息子さん(高2)の場合ですが、
虫歯でもないのにぐらぐらする歯があるので歯医者さんに相談したら、
実はそれが乳歯だったと判明したそうです。
歯科検診や、クリーニングも定期的に受けていたにもかかわらず。ちょっと驚きでした。
幼くなくても、実は個人差ってとても大きいんですね。
ちなみに、その乳歯の下の永久歯が横から顔をだしていたので、
今後のためにはそろそろ抜く必要があると言われたそうなのですが、
ある意味その乳歯のおかげで、1本の永久歯は虫歯になるリスクを今まで回避できていたわけで、
聞いていて私は、それもなんだかかえって遅くてよかったような気もしました。
物事にはたいてい、悪い面、良い面、両方ありますから。

こころのあり方や、巣立ちについても似ているように思います。
「反抗期」がある子も、ほとんど見当たらない子もいるし、
大人になってから反抗する人もいると思います。(実はわたくしがそうです。)
引きこもりや不登校をしていたり、学校への行きしぶりがあったとしても、
その後の変化は実にひとそれぞれのようです。

また、私たちは「症状」や、いわゆる「問題行動(と呼ばれがちなもの)」そのものを、
単によくないものとか、取り除くべきものとか、悪者としては見ません。
いろんなケースが考えられますが、基本的には多くの場合「必要があって」やっている
・・・と考えるからです。
そう考えると、物事のとらえ方や見え方が、開けていくように感じるのです。

ですから、その症状や行動を否定せず、
その背景について一緒に考えてみることは多いです。
そうすると、「17年モノの乳歯」のように、一見やっかいに感じられるものも、
実はちゃんと役に立っていたり、誰かや何かを守っていたり・・・
ということに、ふと気づくことがあります。

このことについては、奥が深くて書ききれないので、
いつかまた別の機会に、改めて・・・。

Nakayauchi