【巣立ち】
昨日の北海道は各地で大荒れとなり、悲しい事故もいくつか起きてしまいましたね。
亡くなった方々、そしてご家族やご友人に心からお悔やみを申し上げます。
改めて、北海道で暮らすことや、自然災害の多い日本で生きることの厳しさを感じていました。
さて、今日は天気の回復したところもありますが、
悪天候のために高校の卒業式が延期になったところもあったようですね。
みなさまのところはいかがでしょうか。
今回は、子どもの巣立ちについて書いてみようと思います。
子どもの巣立ちに対する親の寂しさや痛み、それに伴ううつ状態などは、
よく「空の巣症候群」という言葉で表現されますね。
そして、ひとくちに「空の巣」といっても本当に人それぞれ。
生まれた直後から、その子が結婚することを想像して泣けるような人もいれば、
そんなのぜんぜんないわよ、という方もいるかもしれませんね。
ちなみに「空の巣」は、巣立つ時や後より、前に重くなる方も多いようです。
私はけっこう重い空の巣でした。・・・というより、現在も進行中かも。
そんなにたいしたことないだろうと思っていたんです、はい。
アタッチメント(愛着)の形が回避的だし、一見べたべたしない親子関係だったので。
それに、普段からセラピーやワークを自分が受けているので、軽く済むんじゃないかと、
余裕の構えでいこうと思っていたんです。
ところがですね・・・・これがもう、何も手につかないくらい泣けて泣けて仕方ない。
車を運転していてふと思い出すと、涙があふれてしまい、運転が危険だったこと多数。
家に残った箸や茶碗やイスを見て泣き、部屋のドアを見て泣き、似ている人をTVで観て泣き、
赤ちゃんや小さい子や生徒や制服を目にしては泣き、一人になっては泣き・・・・
巣立ち前も、その時も、後もそう。まあ、とにかくよく泣きました。実は今でも泣けます。
それで、セラピストの先生や、恩師であるスーパーバイザーや、そして安全な仲間に、
いっぱい話をきいてもらい、いっぱい泣かせてもらい、
そしていっぱい一緒に泣いてもらいました。
ただただ、そこにともにいてもらい、何度も聴いてもらって泣きました。
励ましも、気晴らしの誘いも、アドバイスも、未来の予告も、なにもいらなかったです。
ただただ、ともにいて、そんな状態のままの自分を受け止めてもらいました。
本当にありがたかったです。そしてひとときスッキリし、自然にエンパワーされました。
そのうちに、一日に思い出す回数が減っていきました。
何回か思い出しても泣かなくなったり、切り替えられるようになりました。
自分が泣きそうで避けていた電話も、必要があればできるようになりました。
そしていつのまにか、思い出さない日があるということに気づいて自分でも驚きました。
子どものほうは最初から健全で、お金の用事以外、ほとんど今でも音信不通です。(^_^;)
ところで、人間の家族の役割のひとつは、子どもを育てて巣立たせることにあると言われています。
もちろん、子どもをもたない選択のご家族やカップルもあるでしょう。
成長した子どもが、実家の稼業をそこで継ぐということや、
家族や地域のサポートが長く必要な場合もあるでしょう。
親とは違うアイデンティティを持って精神的に自立することが、
あくまでも一般的にはですが、発達のタスク(課題)とされていますね。
一方親にとっては、喜ばしくも寂しく辛いその痛みに対処することがタスクとなるでしょう。
特に母親にとっては、お互いが命がけで、そして自分の体から生まれ出てきたのですから、
まさに身を裂かれる思いがしても不思議ではありませんよね。
それは「喪失」そのものといっていいですよね。
私はセラピストとして自分のケアをすることは責任だと思っていますが、
それ以上に、ただ母親として、ひとりのクライアントとして自分のケアの必要性を感じました。
自分をケアしないと、無意識に子どもの足を引っ張りかねないと気づいていたからです。
心のどこかで子どもにしがみつきたい衝動にかられているとしたら、
それはこちら側の問題だからです。
子どもの親離れは、同時に親側のテーマ(子放し)でもあり、
親が精神的に子を放す必要もあるわけです。
子どもに対する過剰な世話やきや介入を、親の側が必要としなくても、
親自身が一人の人間として、あるいはパートナーとともに、
自分の人生を、自分の選択で、楽しんで歩んでいくことが、
実は子どもへの最大のプレゼントだといわれていますし、私もそうだと思っています。
子どもが安心して捨てられる親になれたらいいいな・・・。
ただ、それは絶縁っていう意味ではないですよ。
でもね、心配や不安はありますよね。あって当然です。私もあります。
病気とか、ケガとか、事故とか、災害とか、トラブルとか、人間関係とか、挫折とかね・・・
考え始めたらきりがないほどわんさか出てきますよね。
でもそれって、向こうにしたら、きっとウザいよね・・・。
できれば誰かとともに、安全な場でその喪失を嘆き、涙を流す必要があれば泣き、
湧き上がる感情をしっかりと感じることで、その感情にとらわれ過ぎずにいられること・・・
そのあたりが、たぶん、子どもに健全に捨てられるために私たちができることなのかもしれません。
私も、もういっかい捨てられるタスクが待っています。
この春、なにかを卒業するひとたち、おめでとう!
これまで育てたひとたち、
ずっと見守ってきたひとたち、
そして、命がけで生んだひとたち・・・
おつかれさま
Nakayauchi