(『チャップリン自伝』新潮社)
【チャールズ・チャップリンLOVE】
みなさん、新しい年に入り、すでに半月が過ぎようとしていますね。
いかがお過ごしでしょうか。
アタッチメント・サポートの2人も、おかげさまで無事に2017年を迎え、
年間スケジュールや、新しい取り組みについてあれこれと話し合っているところです。
今年は臨床の地域をもっと広げたいと考えていますし、
学会に行って尊敬する大好きな先生方にもお会いしたいし、
新たな講座や取り組みにもチャレンジしたいと考えています。
具体的になりましたら、この場やFacebookでお伝えしていきますね。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
突然ですが・・・・・
私は、冬になるとチャップリンを観たくなります。
彼の命日が12月25日だからかもしれません。
「チャーリー」は愛称。イギリス人ですが、ジプシーの血と、ユダヤ人の血も受け継いでいます。
のちにアメリカにわたり、成功したアメリカでレッドパージに遭い、スイスへ。
(『殺人狂時代』などを発表して米国政府に追われたため。)
米国とはのちに和解しましたが、生涯イギリス紳士だったチャーリー。
今はレマン湖のほとりに眠っている世界の喜劇王です。
この足跡だけでも、彼が世界の歴史から受けた影響の大きさや、「多様性に対する寛容さ」など、
いろいろなことがつながって見える気がします。
私は食わず嫌いで30代までチャーリーを観たことはなかったのですが、
『モダンタイムス』を初めて観たときの衝撃は、本当に、ものすごかったです。
いっぺんで大好きになりました。今もYoutubeでいろいろ何時間も観ちゃうことがあります。
ところで、彼は詳しい自伝を書き残しています。
本人の記憶違いも結構あるようなのですが、その表現力や生い立ち、ずば抜けた多彩な才能など、
自伝を読んでから作品を観ると、また味わいや理解が深まると思います。
その『チャップリン自伝(上)-若き日々』(新潮文庫)の冒頭を読んだとき、
私はこれ以上の悲しい文章を知らない、と思うほど猛烈に悲しかったです。
・・・チャップリンの母は寄席の舞台女優で、同じく寄席芸人のチャールズと結婚したのですが、
チャールズのアルコール問題などで離婚に至り、ひとりでチャーリーを育てていました。
チャーリーとは異父兄にあたるシドニーは、船乗りとしてアフリカ航海に出て連絡が途絶え、
頼みの綱だったそのシドニーからの仕送りもなく、離婚裁判もこじれて夫からの金銭的援助も途絶え、
しかも残酷なことに、女優としての声まで失ってしまいました。
結局、女優の仕事はなくなり、内職のためにミシンを借りて裁縫の仕事をしていたのですが、
そのミシンの借用料も、家賃さえも払えなくなっていきます。
当然生活は困窮を極め、粗末な屋根裏部屋にはもう、お金も食べ物もない・・・
いつのまにか母は次第に精神を病んでしまっていました。
そんなある午後、チャーリーはとぼとぼとおなかをすかせて家に帰ってきます。
家には食べ物が何もありません。今晩の食べ物にありつくためには、
いつも世話になっているよその家へ、それこそ「何食わぬ顔で」遊びにいくしかありません。
でも、病んだ母をひとり、このみすぼらしい屋根裏部屋に置いていくつらさ・・・
その引き裂かれそうな幼いチャーリーの心の揺れが、胸に突き刺さります。
(これたぶん、「チャーリーと母親」→「私と病んだ祖父」という投影ですね。)(^_^;)
そして、ああ、だからあんな作品を作れるんだなと思いました。
その後アメリカに渡って成功をおさめるまで、母が精神病院へ入院し、貧民院や孤児院で生活し、
時には子どもながらに路上生活までしていました。学校にはほとんど行っていません。
頼りたかった父親も、飲酒がたたって37歳という若さで他界しています。
貧しい労働者たちに世話になったり、芸を見せて小銭をもらったりして、たくましく生きていきます。
まさに、その経験が彼の映画にそっくり生かされているのですね。
ちなみに、母の名前は「ハンナ」と言います。
『独裁者』に出てくる床屋の妻の名前と同じで、あの「史上最高の演説」でも呼びかけています。
彼がアメリカで成功をおさめたのちも、母が完治することはありませんでしたが、
アメリカに呼んで看護婦つきの家に住まわせ、亡くなるまで支え続けました。
私は時々、もし今もチャーリーが生きていたらどうするかな、なんて言ってくれるかなと想像することがあります。
「君は君の才能を精一杯使って、やりたいように楽しんでやったらいいさ。僕もそうしているよ。なんとかなる。」
・・・と、きっと言ってくれると根拠なく思っています。そして勇気やパワーをもらいます。
みなさんにとって、そんな人物はだれですか。
たとえ一度も会ったことがなくても、架空の人物でも、すでにこの世にいなくも、目に見えない「何か」でも、
私たちに勇気と力をくれる誰かがいるということは、とても素敵なことだと思います。
中谷内由美