【誰かの存在】
少し前、普段は参加しない団体の研修会に参加しました。
見聞を広めたり、どのようなトピックをどう扱っているのか知りたかったからです。
みなさんとても熱心で、真剣にメモを取っている姿が印象的でした。
ワークでペアを組ませていただいた方も、初対面なのにとても安心・安全を感じる方でした。
一方、私は講師の「ノリ」にどうもついていけない感じや、
「イジリ」のコミュニケ―ションとでも表現したらいいのかな?・・・なんか・・・
ここにはいない第三者を「おちょくっている」ように聞こえて引いてしまいました。
そしてしだいにアタマが逃避モードになっていきました。
その時、小さめのリングノートを持ってきていたのですが、
ふとそれまでのメモをパラパラめくってみるうち、真剣に読み込んでしまいました。
そこには、私が尊敬する先生方の、私にとって宝物のような言葉がちりばめられていたから。
東京の学会へがんばって参加したとき・・・
「・・・北海道から来た方が3分の1もいました。
ここは小さな会ですが、全身全霊でこの分野のことを、
熱意をもってやる人たちの集まりだからです。」
これも東京で、知っている人が全然いなくて、最後尾でひとりで聞いていたとき・・・
「・・・たとえ発言しなくても、そこにいて下さってありがとう。
来年もまたお会いしましょう。」
ネットで誹謗中傷の攻撃にあったとき・・・
「あなたがしていることは、それだけ社会的に影響力のある仕事だということです。」
どんな分野やグループにも、きっと尊敬を集める方が存在すると思います。
誰が一番だとかではなく、善し悪しでもなく、きっとそれぞれなんだと思います。
そういう人とはふだんは会えなくても、どこかでつながっているのでしょう。
みなさんにとって、それはどなたですか?
「励ましに言葉も特別な行動もいりません。
人は『誰かの存在』が励みになることの方が、
ずっと多いのです。
何を励みにするかは、
その人自身が決めるもの。
その選択肢にあなたが入るなら、
あなたができる励ましは、
あなたがあなたのままでいることです。」(Twitter/IFFbot/斎藤学)
中谷内由美